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4.堕落期 2001(34歳)〜現在

  • 2001.03 - 2006.09 ASTONMARTIN DB7 VANTAGE 2001

 「いずれは妻用のクルマとして」という名目で購入したアウディA4を、私がメインのクルマとして乗ること1年と1ヶ月後、ようやく、その名目をかなえ、私専用のクルマを手に入れます。アストンマーチンDB7バンテージ。今でこそ多少人気も出てきましたが、当時は、映画007でジェームスボンドが乗る程度しかお目にかかれない、ニッチな英国のクルマです。
 アウディA4から1年1ヶ月後、と書きましたが、実は、このDB7の注文は、アウディよりも昔のことになります。当時のアストンマーチンは、生産自体を受注で行っていたため、注文してからクルマが届くまでの時間がとてもかかっていました。何せ1年以上かかるのですから、注文時に、「注文時とは年式の違うクルマが来ますが、文句を言わないでください。また、その時の年式の価格が上がった場合はその差額分をお支払い頂きます」と、他のクルマではあり得ない、パンチの効いたことを平気な顔をして言われます。
 その分、アストンマーチンは特別なクルマです。モーターショーのアストンマーチンブースに立ち寄ると、ブース奥に通され、ふかふかソファでシャンパンをふるまわれます。それだけではありません。アルミの板でできた見たこともないような招待状が突然家に届いて、英国大使館のローズルームで、ロンドンフィルハーモニー交響楽団のメンバーによる生演奏を聴く英国風パーティに招待されたり、都内高級ホテルで、料理ごとにワインが変わる豪華なフレンチフルコースをいただいた後に、新作の007映画の上映会をやるというバブリーなパーティに招待されたりと、他のクルマのオーナーとは明らかに次元の違う接待が標準装備されている感じです。それも、すべて無料で。そんなパーティへの参加も抵抗なくこなせないような人は、このクルマのオーナーに相応しくない。そんなことを問われているような感覚さえ覚えます。金額的には、DB7よりも高額なクルマを何台も乗ってきましたが、これほどまでにアフターフォロー(?)の充実したクルマメーカーは、他にありません。
 DB7は、伝統的なアストンマーチンの「かえる顔」をした2ドアクーペで、搭載されるエンジンはコスワースとアストンマーチンの共同開発のDOHC V12気筒48バルブ6,000cc。最高出力420馬力、最大トルク54.5kgmを発生します。わずか1,500rpmで、トルクの85%を発生させるというこのエンジンは、出だしのアクセルワークを身につけないと、静かに走り出すこともできない、まさに英国諜報部員向けの仕様となっています。
 私は、ゲイではありませんが、クルマを選ぶとき、女性ウケするかどうかの要素について全く興味がありません。逆に、いかにも「女性にモテる」ことを意識したクルマや、そういうことを期待しているクルマのオーナーが嫌いです。私の周りには、対異性のための武器としてクルマを見ている輩がいて、結果、私はそいつらが乗っているフェラーリやポルシェに対して、かなり偏見を持ってしまっています。クルマそのものは良いものなのかも知れませんが、私が嫌いな人種が目立って乗っているだけで、そいつらと一緒にされるのがイヤで、結局クルマ自体を倦厭してしまうのです。
 ある時、出先でアストンマーチンを停めた駐車場に戻った際に、カップルが私のクルマのそばにいました。彼女の方は、明らかに機嫌が悪いようでした。聞けば、この場所に1時間以上もいるとのこと。私がアストンマーチンに近づくと、彼はそれに気づき私に話しかけてきました。「すいません。一つ聞かせて下さい」どうやら彼は、その質問がしたくて駐車場でずっと私の帰りを待っていたようです。そりゃあ彼女がクサるわけです。「なんです?」私が返します。「教えて下さい。なぜ、フェラーリではなく、アストンなのですか?」ああ、アストンマーチン乗りで良かった。そう思う瞬間です。そんなとき、もちろん私はこう返します。「なぜ?私には、どうしてフェラーリでなければならないのか分かりません」と。
 私は、このアストンマーチンを、尾崎憲一史上最長となる、5年半もの期間所有することになります。それはつまり、それだけアストンマーチンがすばらしいクルマだったからでしょうか。残念ながらそうではありません。尾崎憲一的にはそんな理由はあり得ません。それでは、何故?答えは簡単です。それは、尾崎憲一が堕落したからです。かつての果敢な向上心が衰え、現状満足という名の毛布にくるまって、眠くもないのに昼寝するようになってしまったからです。新しいクルマへの欲望も、それを叶えるビジネスの拡大にも意欲がわかなくなったからです。いつの間にか、ビジネスが夢を叶えるためのものから、日々の生活や要求を満たすためのものへと変わってしまったからです。

  • 2002.12 - 2005.07 AMG C32 2002

 とにかく私は、ベンツが嫌いです。その理由は、前述の通りドイツ車全般が嫌いだというのと、「贅沢するなら誰が見てもわかる贅沢品を」という、本質の吟味など全く行わずに、ただ訳も分からず群がる日本人によって作られた「ベンツ神話」みたいなものが大嫌いだからです。
 ご存じの通り、ベンツには、AMG、ロリンザー、ブラバスなどのチューナーブランドが存在します。それらは、世界一普及している高級車、ベンツに個性を持たせたい、隣のベンツとはひと味違う、というニーズに応えるためのものです。それでなくとも、一般人の夢であるベンツのさらに一段上、という、例えて言えば、牛革でも十分高級で憧れのエルメスのバーキン(バッグ)を、さらに高級素材であるオーストリッチ(ダチョウ皮)のもので買う、というのに似ています。
 実は、私は、このチューナーブランド、という存在自体については、まんざらでもありません。そもそも、私は「買うなら一番上のグレードを」という考えを持っています。これはクルマに限ったことではありませんが、1車種の中にも複数のグレードを持つクルマであれば、この考えはより強く作用します。万一、どこかの駐車場で、同じクルマに出くわした時、グレードやオプションなどで相手の方が上回っていたら、その日はかなり不機嫌な一日となってしまいます。だから、私は同じ車種の中で一番のグレードを求めます。さらに、最高グレードに満足せずに、チューニングの道へ進んだかつての経緯も、原点はここにあります。そう言う意味では、チューナーブランド、というのは尾崎憲一的には「あり」です。ただし、もちろん、言うまでもなく、チューナーブランドの向かうベクトルに私自身が共感していなければなりません。
 私がベンツのチューナーブランドとして認めるのは、AMGだけです。他のチューナーブランドに興味はありません。それこそブラバスなどは、ちょっと遠慮したいところです。先ほどのエルメスに例えるなら、AMGはオーストリッチ皮、ブラバスはクロコダイル(ワニ)皮といった感じです。オーストリッチは、どこかさりげなくてかっこいい、だけどクロコダイルはちょっとやりすぎでコテコテしい。そんな感じです。
 2001年のモーターショーのベンツブースに、AMG C32が出品されていました。ベンツC320ベースに、スーパーチャージャーを中心としたAMGチューニングを施し、最高出力218馬力→353馬力、最大トルク31.6kgm→45.9kgmという、びっくりするくらいのファインチューニングです。
 言うまでもなく、ベンツのCクラスは、コンパクトクラス。車内は、実にチープな作りで、ボディも小柄。乗ってしまえば、国産車のマークIIと何が違うのか悩むほどです。C32はそんなベンツ最低クラスの車体に、10ccあたり1馬力以上という、スーパーカークラスのチューニングエンジンを搭載した、何ともバランスの悪いクルマです。ただ、私はこのアンバランスさに妙に惹かれました。車重1,620Kgという軽量ですから、ひょっとすると、スタートダッシュでは、ベンツ最速かも知れません。そんな、ローグレードが、ハイグレードよりも速いかも知れない、という許し難い設定も、このC32の特異性を際だたせ、ベンツなのにもかかわらず、私の購買欲がくすぐられるようになりました。
 私はベンツが嫌いです。それは、どうやっても改心できそうにありません。ただ、このC32に対して湧いた興味を抑え込むために、私は「一度ドイツ車を買うという、間違いを犯した妻のクルマの2代目として」という逃げ口上を自分に言い聞かせ、2年10ヶ月乗ったアウディA4を実家の両親にプレゼントし、その代車としてC32を購入しました。実際認めたくはありませんが、ひょっとすると、嫌い嫌いと決めつけていたドイツ車への考え方が、アウディを実際に乗ることで和らぎ、それがC32購入の後押しをしたのかも知れません。

  • 2005.07 - 2014.08 AMG C55 2005

 私がメインとして乗っていたアストンマーチンは、壊れてばかりいてほとんど乗れていないシルエットを除いては、5年半という、尾崎憲一史上最も長い期間乗っていたクルマでした。どうして、このように長い期間、1台のクルマを乗り続けていたのか。確かに、私のアストンマーチンは当たり車で、大きなトラブルもなく走り続けてくれたということもありますが、そのような理由だけで、そのクルマを長く所有することなど、私にはあり得ません。アストンマーチンは美しいクルマで、私自身もそういう点では満足していましたし、周りからの評価も心地よいものでしたが、ただそれも、1車種を長く乗り続けるには、私的に安定した理由とはなりません。結局のところは、特段欲しいクルマが現れなかったというのと、私ほどのクルマ好きをもってしても、それがかすんでしまうほどの強い興味を惹かれた「」という乗り物の出現が挙げられます。この「」は、購買欲という点では、クルマと同様の(それよりも強力な)要素を持っていますが、私のライフスタイルにおける位置づけについては、クルマとは全く異なるものです。
 新しいクルマに興味が湧かなくても、「新しいクルマを買う」という購買欲の禁断症状は現れました。この禁断症状の解決策として、いつしか私は、安易な解決策として「妻のクルマの買い換え」でそれを満たすようになっていました。そこに現れたのが、AMG C55。格好の私好みのクルマです。
 C55。名前を聞いただけでもニヤニヤしてしまいます。どこか昔に乗ったアメ車のような馬鹿馬鹿しさまで感じます。C32は、C320をベースにファインチューニングを施した、チューンドCクラスという位置づけのクルマでした。それと比べて、C55は違います。Cクラスに存在しない、というより、そもそもCのボディに収めることなどできない5,438ccという馬鹿でかいエンジンを、ノーズを8.5cm延長して無理矢理押し込んだ、私の大好きなやけくそチューンが施されたスーパーCクラスなのです。ノーズが延長されているわけですから、当然クルマの「顔つき」も他のCクラスとは異なります。また、馬鹿でかいエンジンのせいで、フロントヘビーは顕著で、走りの感覚もまた別のクルマのようです。
 367馬力、52kgmをNAで発生するエンジンを、Cクラスのボディにはめ込めば、当然のように速い。過給器を持たないわけですから、スタートダッシュはC32の比ではありません。スポーツカーの加速を、それを全く感じさせないチープな車内で体感できるわけですから、C55はまさに偉大なペテン車です。これほどまでに大きなエンジンですから、燃費はそれなりで、当然Cクラスの燃料タンクでは大きさ不足です。毎日乗り回していると、毎週給油が必要なくらい。この馬鹿らしさ加減も、私好みのクルマに仕上がっています。
 私は、「ベンツ路線」という、倦厭すべき路線の開拓を行ってしまった、という大義名分にあぐらをかいて、またもやベンツに手を出します。もちろん、AMGですから、「ベンツではない」と逃げることもできますが、そこまでムキになる自分はいませんでした。また、ベンツ嫌いなことを知っている知人からのつっこみもありませんでした。それだけ、C55は強烈な個性を持った、もはや固有種と位置づけるべきクルマでした。私は、この時点でまだ人気のあったC32を下取りに出して、C55にリプレースします。ディアブロに続き、尾崎憲一史上2度目となる、同一シリーズの乗り継ぎとなりました。
 このころになると、娘の幼稚園やお稽古事などへの送り迎えとして、クルマが多く使われるようになり、C55は妻用のクルマだったため、ほとんど毎日、そういう用途に使われるようになります。ちょっと、もったいない使い方のようにも思いますが、そんなクルマで幼稚園の送り迎えをしている、なんていうこと自体が、自分のクルマ好きなツボをなんとなく刺激する感じがして、それはそれで悪い気はしませんでした。

  • 2006.10 - 2011.10 BENTLEY CONTINENTAL GT 2006

 堕落した向上心と、私の中で2002年に登場した「」という価値観のせいで、私のクルマへの購買欲は強力にそぎ落とされます。
 結果、私は5年半もの間アストンマーチンを乗り続けることになります。そんな私が、長いブランクを経て次のクルマを購入することになるきっかけは、金でした。ひょんとしたことから、まとまった金を手に入れることに成功し、「これだけ金があるのならば、クルマでも買うか」という、実に不謹慎で実に私らしい理由から、クルマの買い換えを決断します。
 私が「余った金」で購入するクルマは決まっています。それは、ベントレーです。以前もそんな理由で購入したことがありましたが、今回も同様です。ベントレー・コンチネンタルGT。また私はやってしまいます。1999年の悪夢から過ぎること7年、トラウマも薄らぎ消えた私は、何の迷いもなく、悪魔の実、ベントレーに再び手を出すことになります。
 総排気量5,998cc、W型12気筒に、ツインターボを配したエンジンは、最高出力560馬力、最大トルク66.3kgmという途方もないパワーを発生、それをフルタイムの4輪駆動で路面を蹴ります。2,640Kgという、これまた途方もない重量を持つ車体を、0−100Km/h加速4.8秒というパフォーマンスでこなします。
 コンチネンタルGTは、ベントレーとしては中途半端なクルマといえます。国産車並みのボディ長に2+2シート。後部座席には、男性が長時間ドライブを楽しめる広さはありません。かつて私が所有した、ターボRLは後部座席で足が組めましたから、その差は歴然です。私が思うベントレーには、「乗ろうと思えば乗れる」というイメージはなく、「誰が乗ってもファーストクラス」というイメージしかありませんでしたから、ちょっと複雑です。いっそ、2シーターにしてしまえば・・・とも思いますが(英国の事情もあるのですが)。
 ただ、そんなことは、言うまでもなく私の勘違いです。ベントレーは絶対です。間違いなどないのです。例えフォルクスワーゲングループに入ったとはいえ、ベントレーがベントレーである以上、存在は常に完璧なのです。ですから、私が抱く疑問は、私が未熟だから発生しているのです。小学生が先生に怒られて、「はい!」と返事をするように、私は何も考えず常にYESと言い続けていればよいのです。
 私がベントレーに対してこんな不謹慎な勘違いをするということは、もちろん何か理由があるはずです。私は考えました。そして、ある答えにたどり着きます。それはズバリ、コンチネンタルGTは本当に欲しかったクルマなのか?ということでした。堕落し、クルマの購買欲まで削がれた私は、「余った金」で悪魔の実に手を出しました。それは、その身をも滅ぼす程の刺激によって、自らを変えられるのではないかと考えたからかも知れません。コンチネンタルGTが欲しくて買ったのではなく、コンチネンタルGTを欲するような自分になりたかったのではないか。かつて、全財産数千円という人生の底から捲土重来すべく、マセラティを無理矢理買ったときのように、失ってしまった何かを取り戻すために、無意識のうちに自ら起動したエマージェンシープログラムなのかも知れません。

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