1.黎明期 1987(20歳)〜1995(27歳)

  • 1987.?? - 1989.02 TOYOTA TURENO GT

 尾崎憲一史上最初のクルマがこのTE71トレノです。友人から2万円で購入しました。板橋区成増で同棲をしていたので、ナンバーは練馬(ネリナン)となっています。この頃の私は、競馬その他の賭け事に深くはまり、年上女性との同棲生活もあって、毎日、同棲しているアパートとバイト先の往復だけの生活。大学へは1ヶ月に1日程度しか出席していませんでした。当然、大学は留年し、まさに堕落した生活をしていました。
 首都高速を暴走する、ルーレット族にもなっていて、新宿入路から四ツ木出口まで、10分37秒という記録を半年くらい保持していました。自分のドライビングテクニックを過信していた時期でもありました。
 ボロでも自分のクルマを持つ喜び、様々なパーツを組み込んでクルマをいじる快感を知り、新車購入の憧れを強く持って、その時していた喫茶店でのバイト以外にも、バイク便のバイトをかけ持ちしたりして、新車購入資金を蓄えました。
 その後の私のクルマにまみれた人生を決定する「クルマ好き」要素は確定し、その行く末、同棲生活まで返上してクルマに自分の全てを注ぎ込む異常ぶりを発揮することになります。そう、クルマを買うために、なんと同棲しているアパート代までケチったのです。
 クルマのために同棲生活が終わったため一人暮らしをするようになった彼女に、他の恋人ができるまでそう長くはかかりませんでした。私はこの時の悲しみに触れるまで、自分が行った選択の間違いに気がつくことはありませんでした。
 尾崎憲一という人間の大きな部分を形成する重要な時代はこれで終わりました。

  • 1989.02 - 1990.06 FORD PROBE GT 1989

 同棲生活、彼女を犠牲にして購入した、尾崎憲一史上最初の新車が、このフォード・プローブGTです。初めての新車でありながら、左ハンドル。学生仲間の中でも、親の援助もなく自分だけで購入したクルマとしては最高レベルのものでした。
 このフォード・プローブ。当時はテレビCMも盛んに流れていて、評判も良く、ある程度認知されていましたが、やはり左ハンドルという制限があるため、それほど売れませんでした。しかし、まさにその「売れない」という要素そのものが、私が購入を決定する重要な要素でした。分かりやすく言えば「他と違うものが好き」ということです。
 クルマ好きにとって一番の屈辱は、信号で止まったときに、隣りに全く同じクルマが並ぶことです。もしも電車で隣りにいる人が自分と全く同じネクタイを締めていたら、あまり良い気分ではないでしょう。クルマも大切な自分の個性ですから、クルマにもアイデンティティを求めるのはごく自然なことです。
 このプローブを買うことは、実は友人にも内緒でした。というより、正確に言うと、別のクルマを買うとウソをついていました。当時人気があったニッサン・シルビアを買うと周りに言っていたのです。ねらいは言うまでもなくサプライズ。納車日に友人達を呼んで、いきなりプローブを見せつける。そんなオナニーをしました。
 フォード・プローブは、フォードとマツダとの共同開発で、混血種とも言えるクルマですが、アメ車特有のトルクで走るテイストがあり、私はこのアメ車テイストに魅せられました。
 この頃世には、GT−RやRX−7など、世界的に見てもトップクラスの動性能を誇る国産車が増えていました。プローブは外車のスポーツクーペにありながら、ノーマルでは彼らに歯が立ちません。そこで私は、男の60回払いで高額を投じて、HKSにチューンに出し、マフラー、EVC、追加インジェクション、AIC等を組み込み、プローブを大変身させました。命名、その名も「プローブ・スピリッツ」。たしかに動性能は劇的に向上しましたが、それでも最強になったわけではありません。元がプローブでは、そのうち出始めたチューンドGT−Rなどの敵ではありませんでした。
 私は悩みます。交差点で並ぶ可能性を覚悟しながら、彼らと同じGT−Rを買って、バリバリのチューンを施し勝負するのか、それとも速さを捨てて、個性の道を歩むのか。
 結果、私はルーレット族の頃から崇拝していたスピードの世界を捨て(もちろん完全に捨てたわけではありません)、個性の世界へと方向性を変えることを決断します。この決断を後押しした要素に、プローブがもたらしたクルマの魅力「アメ車テイスト」がありました。この魅力、このアメ車の道を究めたい、そんな気持ちがありました。
 1990年東芝に就職すると、このプローブを同期入社の友人に早々に売り払い、純血のアメ車を手に入れることになります。プローブ所有期間は、あれだけの苦労をして手に入れたにもかかわらず、僅か1年4ヶ月でした。

  • 1990.06 - 1992.06 GM PONTIAC FIREBIRD TRANS AM GTA 1990

 前のプローブを売り、社会人になったことをいいことに再び男の60回払いでローンを組んで買ったのが、このポンティアック・ファイヤーバード・トランザムGTAです。ご存じナイトライダーのアレです。見ての通り、コテコテのアメ車。国産ではあり得ないワイドボディー、排気量5,700ccOHV、ドロドロドロという独特のアメ車サウンド、どこをとってもしびれるような個性の塊でした。
 このトランザム、購入は新車でしたが、実はすでに型落ちでした。というのも、私が購入した年に現行のトランザムが発表され、すでに市場にも出回っていたのです。新しいトランザムは、ちょっと今風で、コテコテのアメ車感が薄らいでいました。私は、そんなトランザムが嫌いで、というより、ナイトライダー仕様のトランザムがあまりに好きで、売れ残りの新車を探し出してわざわざ年式落ちのクルマを買ったのでした。
 こんなクルマで新入社員研修場まで通っていたのですから(もちろん車通勤は禁止なので内緒で)、同期の中でもかなり目立ちました。就業後などは同期連中が集まってきたりして・・・「社会人になったので、クルマを買おうと思っているんだけど、何がいいかな?」なんて相談を持ちかけられたりして・・・そうそう、これがクルマ好き感無量の瞬間なんだ、と喜びに震えたものです。
 そんな喜びもありながら、一方でクルマ好きが理解しなければならない洗礼も受けます。まずは納車日。ボンネットを開けて、エンジンを観賞後、再び閉めようとしても閉まらないのです。原因を調べてみると、ヒンジの部分がずれていて閉まらないことが判明、ペンチでひん曲げてこれを解決しました。そう、そうなのです、国産車にはあり得ない外車ならではの洗礼、「当たり外れ」「壊れる」「アバウト」です。
 私が購入したクルマは「当たり」率が比較的高いのですが、このトランザムは新車としては後にも先にもよく壊れたクルマでした。電気系統はもちろん、燃料タンクから燃料が触媒の上に漏れていて「よくも燃えなかったな」とクルマ屋に驚かれたこともありました。国産車だったらあり得ないトラブル。高いお金を出して新車を買って・・・ある程度は聞いて覚悟はしていても、実際に連発するとさすがにメゲてきます。俗に言う「アメ車はやめたほうがいい」という評判をまさに体感しました。多くの人は、こういう経験を経て、国産車に戻ったり、ドイツ車の道に進路変更したりするのでしょう。
 しかし、私は違いました。いや、違った、というより、あの一言を聞いて変わった、と言った方が良いかも知れません。
 ある夏の日、激しい夕立がありました。雨が止んだ後にクルマに乗ろうとし、ドアを開けたとたん、車内から水が流れ出てきました。「しまった、Tバールーフ開けっぱなしだったか」と思いルーフを確認しましたが、ルーフはちゃんと閉められています。そう、どうやら、原因は雨漏りらしいのです。私はさすがに怒ってクルマ屋に電話しました。「雨漏りがひどいんですけど!」。クルマ屋(アメ車屋)はひるむことなくこう返しました。「そりゃ、アメ(雨)車ですからね」。なんとパンチの効いた返事。私は一瞬にして、アメ車の虜になりました(なんでだよ)。
 手の掛かる子ほどかわいいといいます。クルマ好きも「いやぁ、また壊れちゃってね。今修理中なんだ」なんて言いながら、実はそのセリフ自体に酔っていたりするものです。「うわ、トランザムじゃん、かっこいいね」「いやいや、結構大変なんだよ、こいつが言うこときかなくてね」なんて言いながら、です。壊れること、それもまた個性なのです。究極の個性の道を選んだ私としては、どんな異端もプラスの個性と位置づけ、理解し吸収することを、気がつけば自然に行っていました。日々大企業の歯車として働きながら、一歯車としての有効な立ち振る舞いが、概ね個人の個性でないという現実を知り、そのギャップに悶え始めていました。
 このトランザムで、アメ車の魅力と、個性について学んだ私は、2年でトランザムを卒業し、アメ車の頂点へと一気に駆け上がっていきます。

  • 1992.06 - 1995.02 GM CHEVROLET CORVETTE LT1 1992

 就職して2年。電機労連の安月給にして、1千万弱のクルマを買ってしまいました。アメ車の代名詞コルベットです。最新型のコルベットにフルオプション、桁違いのオーディオに、当時としては極めて珍しい、ZF社製の6速マニュアルトランスミッションを特別オーダー。色は、外が黒で、中が赤!。ついに、名実ともにカーキチの領域に入ってきました。
 このコルベット、私にとっては、その後の人生において何度か経験する、「自分の経済力以上の買い物」の(記念すべき??)第一号となります。このクルマを買ったおかげで、私の人生観はガラッと変わりました。良くも悪くも、その後の代表的な尾崎憲一観を決定することになります。
 「自分の経済力以上の買い物」をするとどうなるか。ちょうど、かつての超音速飛行機が初めて音速の壁を越えた時のように、・・・いや、そんな大げさな例えでなく、そう、今まで乗れなかった自転車に乗れた瞬間とでも・・・いずれにせよ、できなかったことができた瞬間であることは間違いありません。「できないこと」の定義は誰が決めているのか、「できない」とは「やらない」だけの事かも知れない。「できない」という境界線は、「不可能」と「可能」の狭間の線と正確に一致しているのか。飛び越されることを拒むハードルなどこの世に存在しません。要は、飛ぼうとしていないだけかも知れない。求められる最高の眼力は、「不可能」と「可能」の境界線を正確に見極められる能力なのです。
 まずはウソから始まる。そのウソを、いつの間にかホントにしてしまう。ついたウソをその後の努力によりギリギリのラインでホントのことにしてしまう。余裕を持ってつくウソでも、自分の能力以上のウソでもない。最初フロシキを大きく広げ、その広げたフロシキをその後の努力により、絶妙までのジャストサイズにする。そのことこそが、何にも勝る男のかっこよさである、私はそれを体がしびれるくらいに強く感じました。
 私は、このクルマを買うことで、自分にウソをつきました。買えるはずがない、と思っていたクルマを、実際に買うことで、「自分で自分のモノを買う」常識から逸脱した行為を行いました。つまり、自分にウソをついたのです。このウソをホントに変える勝負をしかけました。この程度のウソなら、いつかホントにできるだろうと信じて。勝負といっても、単に男の60回払いを全うするだけですが。
 この勝負は、私にとって程良いやりがいのようなものもありました。それは、言うまでもなくあこがれのコルベットを手に入れるということと、「そんなローン、払えるわけないだろう」と言われる友人などのギャラリーが見ている前で勝負できるという点です。私はこのギャラリーが見ていると妙に奮い立ってしまうタチで、これは、以前のルーレット族の頃からの血なのかも知れません。
 私は、クルマ好きです。ですから、常にクルマはいじり続けます。莫大なローンを払いながらも、マフラーを変えたり、ナビを最新のものに買い換えたり、高価なスポイラーを買ったりしました。とにかく目立ちたがりでもあったので、クルマの腹にネオン管を埋め込んで、写真のようにクルマ自体を銀座のように光らせました。こんなクルマで、スポイラーで雪をラッセル車のようにかき分けながら、スノーボートしに行ったりしていました。
 後先考えずに実行に移されたこの勝負も、購入後2年たった頃から辛くなってきました。数行前には偉そうなことを書きましたが、実際には、この頃になると、クレジットカード複数枚を利用した、ピンポンキャッシングなどをしながら、堪え忍んでいました。ただ、経済的には苦しくても、生活は充実していました。圧力がかかればかかるほど爆発力が強くなるように、窮鼠猫を咬むという言葉を信じて、起死回生を目論んでいました。クルマを手放せばこの経済苦から脱することもできたかも知れませんが、一瞬でもそのような事を考えたことはありませんでした。
 そして、クレジットカード破産の図が頭をよぎるようになってきた1994年7月、ついに、突拍子もないアイディアが飛び出します。インターネット・サービス・プロバイダの起業です。

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